「母親」だからって「オンナ」を捨てなれけばいけない?
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わたしは以前まで「愛だの恋だの信じられない」と思っていました。
周りを憎んでばかりいたせいか、心が蝕まれていきました。
その「憎」の積み重ねが、ある現象として身体に表れるようになったのです。
「わたし」というオンナは、母親の嫌な成分でできている
蛙化現象、ってご存知ですか。自分が好意を持った相手から、好意を持たれると途端に気持ち悪くなってしまう、そういう心情のことです。グリム童話が語源のようですね。
なぜ、そういったことが起こるのでしょう。調べたところ、「異性との交友が少ない」「自己肯定感が低い」などが挙げられるそうです。
わたしもこの蛙化現象に悩まされてきました。わたしの場合はたぶん、きっかけは母親の不倫。母の不倫相手から「美緒」と呼ばれたことで、わたしは異性から名前を呼ばれるのが苦手です。そして母による虐待。精神的虐待により、自己肯定感が低いのだと思います。
そんな母親の不倫により、なんだか「オトコとオンナ」の関係は「気持ち悪いもの」という認識でした。
たった一言、叫べていたら未来が変わったかもしれない
だけど今、改めて思うのです。
「母親」になったからって、「オンナ」でいることを捨てなければならないの?と。
わたしの母親はもしかしたら、愛情に飢えていたのかもしれない。わたしと同じように。母親も、祖母(母親の母親)から暴力を受けていたと聞いたことがあります。
わたしは一生、母親の気持ちはわからないけれど、それでも一生懸命理解しようと努力するならば、原因はそれしかない気がするのです。
穴の空いた器に、いくら水を注いでもたまらないように、母親の心には穴が空いているのではないでしょうか。
わたしは母親が好きではないです。けれどもしかしたら、わたしの歩み寄るチカラというものも、無かったのかもしれません。
「愛して」
わたしも母親も、その一言がどうしても叫べなかったのかもしれません。
母から受け継いだ「オンナの成分」を断ち切りたい
わたしは変わりたい。母親のように不倫したいと思わない。結婚したいとも思わない。でもこのままじゃいや。前に進みたい。
ようやく蛙化現象を乗り越えて「愛してくれてありがとう」と言える相手に出会えました。どうやって乗り越えたか、自分でもわからないのです。けれど、そのひとは優しく優しく、わたしの内側に浸透してきてくれました。器に水を入れるように、ではなく、スポンジに染み込む水のように。こころではなく細胞に、染み込んできてくれたのだと思います。「美緒は美緒でいい」「無理しなくていい」そういう風に、わたしを肯定してくれました。
母親の叫びは、だれにも届かなかった。だから見知らぬ男性に、偽名を使ってまで身体を差し出しているのでしょう。
わたしは母親の伸ばした手を握ることはまだできない。けれど「手を伸ばしている」、その叫びに気付くことができました。
「母親」だって「オンナ」。
自分の親の「オンナ」の部分なんか見たくないけれど、「母親」にだって人生があるんですよね。
許せない。そう思うこともあるけれど、これからは別々の道を歩んでいこう。なんとなく、そんなことを考える、日曜日の午後。