「生まれ変わったら、私が男で、あんたが女」 怒りながら、夫の遺品整理。

オンナの叫び

来年は、金婚式を迎えるはずだったのに

「ステージ4です」
令和2年の秋。市主催の健康診断でがんの疑いに引っかかった夫は指定された国立病院に行き、若い医者からそのように宣告されました。
一緒に行った私は、その言葉を聞いても、いまいちピンと来ませんでした。

だって、二人の暮らしは永遠やと思っとったから。
来年は結婚して50年。金婚式を迎えるはずでした。
お父さんが、私を置いていくはずが絶対あらへん。

間もなく始まった抗がん剤治療。
3回の予定の抗がん剤投与が、体が持たないので2回になっても、「まだ平気」と気にも留めませんでした。

あの日の朝、病院から電話があって、私はようやく現実に引き戻されたような気がしました。

二人の暮らしは永遠やと思ってた

私たちは、知人の紹介で出会いました。
ひと目見て「この人と結婚するんやろな」そう予感したのです。
8歳年上の優しい清潔な感じの人。
倹しい暮らしの中で男の子を二人授かりました。
真面目で勤勉な夫との生活は、姑の苦労はありましたが、順風満帆に過ぎて行きました。

息子たちはとっくに自立して、夫婦二人だけの生活も20年以上に。
犬がかすがいになり、家を空ける時はペットホテルに預けるよりも、どっちかが家に残ったほうがいい。
夫婦別々に旅行に行くのも、お互い息抜きになっていいなぁ、なんて思っていました。

無口な夫は単語しか話さへんので、どうしても私が饒舌になり、夫と喧嘩して負けた記憶なんてあらへん。

68歳から小さな商いをしている私は、水曜日と木曜日の定休日は「お父さんデー」として、友人たちとの約束は一切入れませんでした。
お昼にランチをして買い物に行くだけでしたが、夫はささやかなデートを毎回楽しみにしていました。
映画とボウリングが好きで、私のいない日には別のグループの仲間に入り、楽しそうだった。

私が台所で調理をしていると、夫が何かの用事で後ろを通り指先で私のお尻に触れて行きます。
毎度の事やのに私が「セクハラや、変態や」とキャアキャア言うのを面白そうに楽しんでいるんやに。
真面目そうな見た目からは想像も付かないほど、子供っぽい人やったなあ。

そうそう、お金にも全然無頓着な人やった。
干支がヘビで「お金に困らんやろ」とよく人に言われたんやけど、困るはずあらへんわ。
お金は私が持ってやりくりしとるから、預かったものは無いって言えやんやろ。ヘビ年のお父さんの財布は無限やったな。

家族全員、お父さんが生きて帰ると信じていた

闘病中、二か月の間に3回入院しました。
その時も息子たちに「大丈夫、大丈夫」と言っていた夫。
コロナで面会が出来なくなっても、私が着替えを届ける時にうまく抜け出してきてくれて、こっそり話したことも。

LINEで犬の鳴き声を聞かせてやったり、息子も嫁も毎日メッセージをくれたり、孫は二十歳の晴れ姿の写真を何枚も送ってくれました。
我が家全員が、お父さんが生きて帰ると信じていました。

ある日突然、神隠しのように

あの日の朝、病院から電話があって、私はようやく現実に引き戻されたような気がしました。
大急ぎで他県に住む息子たちに電話してから、一人急いで病院へ。
その後は、あんまり覚えていません。

長男が病院に着いて、30分後に夫は亡くなりました。
私が繰り返し言っていた事といえば、「生まれ変わってもまた一緒になる」
それだけははっきり覚えています。

なんて鈍い奥さんやろと、病院では思われていたかも知れません。
病気の知識もあらへんし、お父さんも元気そうやったし、私は、絶対夫がいなくなるなんて事は考えたくなかっただけなんやろか。

家族だけで、思いの丈涙を流すことができた

コロナは、家族だけの小さな弔いを可能にしてくれました。
生前、死ぬときはひっそりと死んで行きたいなと話し合っていたからです。
お陰で家族だけで思いの丈泣いて、送り出す事が出来ました。
特に息子にとっては、大の大人が泣いてる姿なんて他人に見せたくなかったでしょう。

息子たちも帰り、一人取り残された家で夫の祭壇に線香を供える毎日。
私にとっての慰めは、犬しかいませんでした。

誰にも会いたくない。
日が全然経たへんの。
まだ1週間、まだ10日。

その間にいろいろな人たちが、手紙をくれたり、メールや電話をくれたり。
直接訪ねてくれた人もいました。
有難く思っても、心が付いて行きません。

それでも、事実と向き合わなければ。
市役所や銀行に行ったり、名義の書き換えをしたり、仕事は山ほどありました。
夜になると、寒くて寒くてストーブを付けないと寝られず、頭がガンガン痛みました。

病院に行くと「鬱になりかけている」という診断が。
なりかけやて・・・?
その言葉に発奮した訳ではありませんが、こんなんしとったらあかんと心から思いました。

嫁に電話して泣きました。
嫁も一緒に泣いてくれて、二人で電話越しにいつまでも泣いていました。

四十九日の仕上げの頃になると、ようやく元気になりましたが、気が付いたら10キロも痩せていました。
余談ですが、私はこれをお父さんダイエットと呼んでいます。

夫が生きてきた証を、怒りながらこの手で消していく

3か月も経つとなんとか日常が戻り、遺品の整理をしなければなりませんでした。

多彩な趣味のお父さん。
テレビの後ろは、アンプやブルーレイレコーダーのおびただしい数のコードでくしゃくしゃ。ほこりだらけ。それも一か所ではなく二か所も。
このコードは全部捨てました。

レコーダーが使えるかなんて、どうか知らん。
ボウリングのボールも3、4個。これどうするんや。

アンプやレコーダーも数えられないくらいある。
使っていたのか使っていなかったのか訳の分からない電気製品。

それに何と言ってもDVD。大きな箱にいっぱい。
まだまだVHSも残っています。

映画のパンフレットも、几帳面な貴方は整理してファイリング。
こんなん、ほれやん(捨てられない)やんか。

おしゃれなお父さん。服も靴も山のよう。
取り敢えず二階の部屋に入れときます。
下着のタンスはゴミ袋5袋分も。もうこれはゴミの日に出しました。

家族の遺品整理って、泣きながらするのやと思っていたけど、
私は怒りまくってやってます。

「生まれ変わっても一緒になる」その気持ちに変わりはない。
けど次は「私が男で、あんたが女」

そうなりたいと私は天に聞こえるように叫ぶ。

話してくれた人 泰良木ゆめ

三重県在住。72歳。自分にしか表現できないものを求めて40代で人形作家に。 2003年・2004年、アジア文化交流会において2年連続 ラスベガス美術館賞を受...

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