できない子だけ特別扱いしないで。優等生のことも構ってよ!!

オンナの叫び

日常生活の中で、私たちは無意識に、また、ときには意識的に、自分や他人をカテゴライズしている。

私は、カテゴライズされるのが嫌いだ。

性格のカテゴライズ

男女や年齢でカテゴライズされるのももちろん気に食わなかったが、性格でカテゴライズされるのも好きではない。

以前、私は自分のことを「典型的なA型長女」「しっかりしている」などと評した(みんなの望む「私」と本当の”私”、『私らしさ』ってどっち?)が、それは単に「私」という存在の一部をわかりやすく示したものに他ならない。

むしろ、そんな通りいっぺんの言葉におさまってたまるか。

だけど、周りの人は、「しっかりしていると言えば寿乃ちゃんだよね」なんていう。

皆さんはお気づきだろうか?

「寿乃ちゃんはしっかりしているよね」と、
「しっかりしているといえば寿乃ちゃんだよね」の違いに。

前者はいいのだ。

「寿乃ちゃん」、つまり「私」という人間の中に「しっかりしている」という要素が入っているから。

問題は、後者。

勘のいい皆さんならお気づきだろう。
この言葉では、「しっかりしている」という性格のカテゴライズに「私」が存在しているのだ。

私は褒められたくて意図的に「しっかりしている私」を作っている。
「しっかりしている人間」に分類されるためにしっかりしているんじゃない。

私を構って

ところが、一度「しっかりしている」と分類されると、別のカテゴリーに移動してもらうにはよほどのことがないと難しい。

小さい頃は、「しっかりしている」ことで褒められていたが、大きくなるにしたがって、「しっかりしている」と判断されると、「一人でも平気そう」とか、「放っておいても大丈夫」とか思われて、大人から構われなくなった。

いや、「構われなくなった」という言い方には少し語弊があるかもしれない。
単に、大人の目が「しっかりしている」とカテゴライズされた私ではなく、
他の「しっかりしていない」とカテゴライズされた子たちに向いただけだ。

それでも、私は構ってもらいたかった。「しっかりしていない」とカテゴライズされた子と同じように、大人にサポートしてもらいたかった。声をかけてもらいたかった。いつも構ってもらえて、良くも悪くも注目される「しっかりしていない」子が羨ましかった。

カテゴライズすることで、自分を守っていた。

大学生になって、私は塾講師を始めた。高校受験のための集団塾で、私は生徒たちに国語を教えている。

始めはどの子にも平等に接しようと心掛けていた。
もちろん、それは今でも変わっていない。

ただ、目に付くのだ。

「しっかりしていない」子が。

宿題はやってこない、
事前に出題内容も答えもわかっているはずの確認テストで合格点を取れない、
重要な提出物をいつまで経っても提出しない。

そういう行動をされると困るのだ。

私、つまり大人が。

「しっかりしていない」子は無意識に構ってしまう、というか、構わないとこちらが後々大変な目に遭ってしまう。

実は性格のカテゴライズは、大人の自己防衛のためだったのだ。

それに気づいたとき、自分が構われなかったことにも納得がいった。

そりゃそうだ、「しっかりしている」に分類されている私は、危険分子だと認識されていたのではなかったのだから。
より危険なものがあったらそれに目を向けるのは当然のことで。

期日がだいぶ先でも「提出物は早く持ってきなさい」と声をかけたくなるのは「しっかりしていない」方の子。

逆に、宿題をきちんとやってくるとか、提出物は期日までに持ってくるとか、普段からそういうことができている「しっかりしている」子への声かけはギリギリでも大丈夫。

私もそんなふうに考えてしまっていた。

「しっかりしている」子を「しっかりしていない」子に比べて構っていなかった。

私は、自分で過去の自分を傷つけていた。

今は、「しっかりしている」子を、意識的にちゃんと気にかけている。
何気ないことでも話をして、彼らの声を聞いて。
「しっかりしていない」子と同じように扱うのとは違うけど、私なりの小さな気遣い。

幼かった私のような思いをする子を、ちょっとでも減らしたい想いとともに。

書いた人 日下寿乃

神奈川県の湘南出身、2001年生まれの現役女子大生。都内の女子大で総合政策を学び、メディア業界に就職するためにさまざまなスキルを身につけるべく、ライター活動...

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