虐待「サレタガワ」のわたしが過去を明かすとき相手に求める、ある条件

オンナの叫び

ずっと秘めていた過去の話

わたしは過去の話をあまり人に明かしたことがない。というかできなかった。言葉にしようとすると、喉の奥にビー玉が詰まったかのように、心に重い鍵がかかったように、話せなくなってしまうのだ。

それくらい言いにくい過去の話とは、要するに虐待の話だ。

では何故、こうしてエッセイになど書いているのか。

やっぱり、知って欲しかったのだと思う。わたしは承認欲求が人一倍強い。そんなわたしの過去を、だれかに知って欲しかった。

今までの「人生」を「消費」することで、無かったことにしたかったのかもしれない。

わたしが過去の話をする理由

たった一人だけ、わたしが過去を話した相手がいる。その子も親から虐待を受けた経験があった。だから話せた。

それから、わたしのエッセイを「必ず読んでいる」と言ってくれた友人がいる。

その二人の共通点は、「わたしの過去に引かなかった」こと。

自分も虐待をされた経験のある子は、「へえ、私なんて…」と話が続いた。

エッセイを読んでくれている友人は、「こうやって話していると身近に感じるのに、エッセイを読むとどこか遠い人のような感じがする」とまで言ってくれた。

その二人に「虐待」の過去を話している間、何者でもなかったわたしが、何者かになれた。それほど有難い反応だった。

もしもわたしが、誰かに過去の話をするとしたら。

「そのひと」を選び抜くには、なにが基準なのだろう。

たぶん、「目」だ。

わたしは人の目を見るのが大好きだ。「目は口ほどに物を言う」本当にこの通りだと思う。

この人は大丈夫、この人は信用ならない、すべての基準を、わたしは「目」で決めている。

目付き、目の色。目の奥が深いひと。

この人であれば話せる。話してみようと思える。いまの彼が、そう。

こういった「虐待をされていました」ということを話したり、書いたりできるようになったのはごく最近のことだ。というか、機会を得られた。でも、まだ昔のわたしなら書かなかったと思う。ずっと、わたしがうまく生きられないのは親のせいだと思っていた。でもわたしはもう20代も半ば。

「ダサい」と思った。いつまでも自分の人生を悲観して親のせいにするのは「ダサい」。

どうせ話すならとことんやろうと決めたきっかけ

どうせ「ダサい」なら、みっともないわたしらしく、最高にみっともないカタチで、カミングアウトしてやろう。エッセイとしてわたしの過去をこの世に放つことで、わたしはみっともなさを受け入れられるし、それは、親に対する最高の復讐だと思ったのだ。

わたしのエッセイを読んで、わたしの話を聞いて「かわいそうに」という人がいたら、わたしはそいつと縁を切る。「大変だったね」と言われたら、距離を置く。

あくまでわたしは自分の「ダサさ」も「みっともなさ」も受け入れて、日常のヒトコマとして「消費」しているのだ。

学生のころ、SNSのプロフィール欄に「被虐待児」と書いている子がいた。裏アカではない、友人と繋がるふつうのアカウントにそう書いていた。わたしはそれを見て「ばかじゃないの」と思った。「自分だけ、被害者ぶるな」とも。だけど、わたしがひとの「目」を見て試していたように、その子にとっては、そうやってSNSで自分をさらして、多くの繋がっている友人たちを試していたのかもしれない。

人によって信じられる「目」の数や種類はそれぞれだ。

虐待サレタガワが思う「笑ってくれ」

わたしは「ダサい」し、「みっともない」

それがわたしのアイデンティティだ。

どうかわたしの話を聞いたり、読んだりして、決して同情しないで。笑って。

わたしの経験を笑って。「えーそんなことあったの、最悪じゃん」「お母さん、サイコウにイカれてんなあ」「お父さん、自分勝手だねえ」

なんでもいい、どんな言葉でもいい、とにかく笑って。

「とんでもない悲劇」は「とんでもない喜劇」にもなりうる。わたしの経験を「喜劇」にして。

不倫された側を「サレ妻」と名付けるのが流行ったように「サレ娘」ということばを流行らせたい。どう?「ダサい」でしょう?「みっともない」でしょう?

わたしはダサくてみっともない「虐待サレ娘」

笑い飛ばそう、エンタメとして消費しよう。大丈夫。必ず一人にはならない。ここにいる。

だからどうか、わたしを笑って。

書いた人 小野寺美緒

1月生まれ。本が好き、映画を観る要領で頭に文字を流す。 わたしのような、みっともないおとなでも生きていけるんだ、と思ってほしいと、頭の中のマーブル模様を文字...

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