「オンナなんだから」なに? 天然パーマだったオンナの戯言

オンナの叫び

カテゴライズされるのは嫌い。特に「オンナなんだから」って言葉は大嫌い。オンナだからといって決められたレールの上を歩くのはまっぴらごめんだ。

これは、女子大に通い、周囲に「オンナ」を強制されつつある現役女子大生の私が、世間のオンナのステレオタイプに物申す話、シリーズ第4弾である。(第1弾「オンナなんだから」なに? 料理ができないオンナの戯言、第2弾「オンナなんだから」なに? オシャレに興味がないオンナの戯言、第3弾「オンナなんだから」なに? 太りたいオンナの戯言もぜひ合わせてご覧ください。)

髪はオンナの命。

そんなことを言い出したのは、いったい誰だったんだろう。髪の毛は、長ければ長いほど、そして美しければ美しいほど、オンナとしての価値が上がるらしい。ほら、今ちょうどテレビから流れてきたシャンプーのCMも、長い髪の毛をバサーって手で流す女性が映っている。

テレビの中の彼女とは正反対に、私は、そんな言葉とは無縁の学生時代を送っていた。

というのも、なにを隠そう、私は天然パーマだったから。それも、ゆるふわとかいうレベルじゃないほど強烈な天然パーマ。

幼少期はまだましで、せいぜい「癖っ毛」と言われる程度だった。「寿乃ちゃん癖っ毛なんだ、かわいいね」くらいで済んでいた。

それなのに、小学3年生の春。ちょっと髪の毛を短くしただけで、私の髪の毛は突然本領を発揮し始めた。そして、小学5年生になる頃には、まるで実験に失敗した博士のような髪型になってしまっていた。

でも、実は、私は大学生になるまで特に天然パーマに抗おうとしなかった。その理由は、もともと見た目に対しての意識が低かったこととそもそも知識がなかったこともあるが、いちばん大きいのは、第一印象のインパクトが私にとってはメリットだったから。

天然パーマは、私のアイデンティティー。

中学や高校への入学にクラス替えなど、新しい知り合いができるとき、私の天然パーマはとっても役に立った。だって、間違いなく覚えてもらえるから。サラサラストレートのオンナは山のようにいるけれど、私ほど天然パーマのオンナってなかなかいない。少なくとも、私は見たことがない。だから、特に一度にたくさんの人と知り合うとき、似たような格好をしたオンナたちは皆同じに見えることが多いけれど、私だけは混ざらないで覚えてもらえる。

さらに、いじってもらえるという特典付き。メデューサ、ブロッコリー、パイナップル、ハーマイオニー、その他もろもろ、私は天然パーマに関連したあだ名をたくさんつけてもらえた。自己肯定感は低いのに承認欲求だけは強い私にとって、あだ名をつけられることは自分の存在を認めてもらえるのと同義だった。

「もう、気にしてるんだからそんな風に呼ばないでよ」なんて言いつつも、話しかけられるきっかけを作ってくれていたのはたいてい天然パーマだったから、私は天然パーマを気にするどころか、感謝すらしていた。まあ、これに関しては、いじめられなかったのは運がよかっただけだとも思っているけれど。

ただ、だからといってサラサラストレートに憧れがなかったわけではなく。むしろ、人一倍憧れていたと思う。とはいえ、私は天然パーマの自分に対して「私はそういうものなんだ」と一種の諦めに似たなにかを持っていたから、この憧れは、それこそ「あの芸能人の顔になりたい」みたいな、自分ではどうしようもないものに対しての憧れだったように思う。

天然パーマを捨てた私は、理想を手に入れ自己肯定感を失った。

時は経ち、大学1年生の夏。母親から「美容院に行きなさい」と言われたのは、バイトの面接を1週間後に控えた日のことだった。なんでも、天然パーマだときちんとしていないように見えるらしい。

なんだそれ、と思いはしたけれど、世の中が天然パーマの人間に対して必ずしも優しいとは限らないことは知っていたし、昔からよく言われる「ちゃんとしてればかわいいのに」の「ちゃんとする」の一つが縮毛矯正であることもわかっていた。

近所の美容院を予約して、縮毛矯正をかけた。

強い薬剤をたっぷり使って、他の人より大幅に時間をかけて、私の髪の毛はストレートにさせられた。

鏡に映った新しい自分を見て、誰これ、と思ったのは言うまでもないだろう。

サラサラストレートの自分は、私の目には、いつもよりも少しだけかわいく映った。担当してくれた美容師さんにも「よくお似合いですよ」なんて言ってもらえた。

嬉しくって、いつもはあまり上げないインスタグラムのストーリーに堂々とサラサラストレートの自分の写真を載せちゃったり、友達とインスタライブをしちゃったり。何人かの友達が「似合ってる!」「かわいい!」なんて反応してくれたおかげもあって、私は浮かれていた。

でも。実際に憧れのサラサラストレートになった私がそんな自分を以前より愛せたかというと、そういうわけではなかった。

むしろ、どうしようもない喪失感だけはずっと残り続けている。ふわふわのあの髪の毛はもう2度と帰ってこないのだと思うと悲しかったし、もう髪の毛でインパクトを与えられないんだと思ったら定番にしていた自己紹介も使えないし。なにより、天然パーマというアイデンティティーがなくなったことで、自分を認めてもらえる機会も極端に減ってしまって。

失ったものの大きさに気づいたとき、どうしてもっと「天然パーマの私」を愛してあげられなかったんだろうってすごく後悔した。多分、私、天然パーマの自分が好きだったんだ。だけど、気がつくのが遅すぎた。

自分の好きな髪型で生きる。

ツーブロック禁止とか、肩にかかる長さの髪は結びなさいとか、パーマ禁止とか、髪染め禁止とか。髪の毛に関するよくわからない伝統や校則や偏見は意外とどこにでもある。自分の好きな髪型、自分を愛せる髪型で過ごすことが許される社会だったら、私は今も天然パーマのままだっただろうし、自己肯定感だってもうちょっと高くいられたかもしれない。

早く、社会が変わりますように。

そして、早くサラサラストレートの自分も愛せるようになりますように。

そんなことを思いながら、私は今日も縮毛矯正の予約を取っている。

書いた人 日下寿乃

神奈川県の湘南出身、2001年生まれの現役女子大生。都内の女子大で総合政策を学び、メディア業界に就職するためにさまざまなスキルを身につけるべく、ライター活動...

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