オンナの子は赤いランドセル、男の子は黒いランドセル。色よりもナンセンスなもの

ほんとは青色が好きだった
人生で最初の性別固定概念は”保育園のトイレ表示”だった。
男の子のピクトグラムは青色、オンナの子のピクトグラムは赤色。
トイレの中の設えも、男の子は水色基調、オンナの子はピンク基調。
そういうものなんだ、と思った。これが当たり前か、と思った。
不思議なことに、こども特有の「なんで」は発動しなかったし、私の周りでも疑問を持つ人はいなかった。
だから、運動会で先生お手製の折り紙メダルが男の子は水色、オンナの子はピンク色だったとしてもすんなり受け取った。
保育園で習う最低限のモラル「列では前の人を追い越してはいけません」「話している先生のほうを向きましょう」「人を叩いてはいけません」と同じぐらい当たり前のことのように受け入れていた。
けれど1つ、私には秘密があった。
それは、青色が好きということ。ほんとはピンクのメダルはあんまり嬉しくなかった。
オンナの子たちがきゃっきゃっとピンクのものを持ってくるのを見るたび、気持ち悪いと思っていた。
でも、それはきっと言ってはいけない。青色が好きなことも、ピンクが気持ち悪いことも。
苦笑いで乗り切っていたあのときの私はとても偉かったと思う。
赤色のランドセルが普通。当たり前。
小学校にあがると性別固定概念は、よりはっきりと表れるようになった。
それは、”ランドセル”だ。オンナの子は赤で、男の子は黒。
今ではランドセルを選ぶことを「ラン活」と呼ぶくらい活発になっているし、たくさんの色から本人の個性を尊重してくれるご両親もたくさんいることだろう。
しかし、それでも街中で小学生の登校列を見かけると、オンナの子は赤、男の子は黒が圧倒的に多い。
18年前、6歳の私のランドセルはもちろん赤色。
近くの百貨店に行き、色を選んだ。たくさんのランドセルが並ぶ棚。
そのとき一番最初に目についたのは、空で染めたような水色だった。
「これがいい!」と、言う前に両親が手に取って「背負ってみな」と渡されたのは赤色だった。赤色が正解なんだ、私はそう思った。
こどもにとって両親は人生という巨大な問題用紙の解答集だ。
親のいうことが正解、親がいうんだから間違ってない、とそう思う。
一緒に来ていた小学2年生の姉も赤いランドセルを背負っている。
これが普通。これが当たり前。
迎えた入学式の日、緊張した面持ちで教室に入ると1人のオンナの子が泣いていた。
だから言ったでしょ、もう、と漏らすお母さん。
抱き締められていたその子の背中に生えていたのは、私が憧れた水色の翼だった。
彼女は、水色のランドセルを背負っていた。私の身体に衝撃が落ちた。
「え!? ランドセルって赤じゃなくていいの!?」と。羨ましかった。
だから言ったでしょ、とお母さんが言ったということは、きっとご両親は止めたのだろう。
赤にしたほうがいんじゃない、と言ったのだろう。
そう考えるとやっぱり正解は赤なのかもしれない、とも思った。
水色ランドセルのその子は、その日いちにち、泣き止むことはなかった。
担任の先生が入ってきても、入学式が始まってもずっとひくひくと泣いていた。
私はそれを見てまた、赤色でよかった、と思った。
同じ保育園のあの子も、あの子もみんな赤色。それ以外の子もぎりぎりピンク色はいたけれど、机の横にかけられたランドセルはほとんどが血のように真っ赤だった。
それを見て、よかった、と安心した私。
そもそもランドセルってものがナンセンスじゃない?
今、いろんなことを経験してきた24歳の私が言葉を付け足すとしたら
「よかった、これで紛れられる」
「よかった、仲間外れにされることはないな」
「よかった、白い目で見られないや」が当てはまる。
怖かったのだ。
大切なのは、ランドセルどうこうではない。そこから発展する人間関係だ。
私たちと同じだね、という同調圧力。私たちと一緒だよね、というマジョリティ思考。
同じなら何も言われないけれど、違ったら「どうして」「なんで」と聞かれる純粋なまでの残酷さ。「好きだから」「気に入ったから」が正しく納得のいく答えにならない世界。
そういう脅威にさらされないことに安心したのだ。
個性を大切にする。自分の意見を持つ。君はどうしたいの。
小学生の頃とは打って変わって、突然”自分”という人間を定義する大人の世界。
そんな世界に片足を突っ込んでいる私は、街中で小学生の集団を見つけて6歳の私に問いかける。
「そもそもランドセルってものがナンセンスじゃない?」
大人になると、6年間も同じ鞄を使う、というのは結構珍しい。
どんなにいい鞄であったとしても3、4年使ったら新しいものに取り替えてしまう。
複数鞄を持って、その日の気分に合わせて使い分けたりする。
大人になるとそれが当たり前であるはずなのに、どうして小学生はそれが許されないんだろうね。
お金の問題? 教科書の大きさ? 荷物の量?
ランドセルなんてものがなくなって、学校指定の鞄がなくなったら私はどんな鞄を持つだろう。
少女漫画の付録でついてきたトートバック。お母さんが使わなくなったコーチの鞄。
好きなように自分で選べる鞄の数々。水色ランドセルのあの子も泣くことはなかったんじゃないかな。
家の近くの公園では、男の子たちがランドセルの上に座ってゲームをしていた。
いいぞ、もっとやれ。私はそう呟いて、六時のチャイムを聞いた。