「消費者」じゃなくて「ファン」でいたい

オンナの叫び

世の中で「ファン」や「オタク」という言葉の持つイメージがここ何年かでガラリといい方向に変わったおかげで、誰かや何かを一生懸命応援する人が増えたと思う。

無論、私もそのひとりで。たくさんの推しのおかげで、毎日楽しく過ごせている。

…んだけど。

「ネガティブになったときに、みんなのコメントや手紙が心に沁みた」

有観客ライブツアーを完走した推しの言葉に、ハッとした。

あれ、私、推しにさんざん幸せもらってるくせに、ちっとも返せてなくない…?

私は「消費者」だった

この発言をした推しのグループのSNSを見てみると、Twitter、Instagram、LINEはもちろん、毎日更新されるTikTokにブログ、ほぼ2日に1回のインスタライブ、レギュラーラジオも週に3回。さらに、毎日何かしら動くと噂の個人ファンクラブ。(はい、ご想像通り、いつもの男性6人組アーティストです。)

毎日毎日たくさんの幸せをくれる彼らに対し、私はというと。

バイトから帰ってきて、とりあえずTwitterを開いていいねを押して、インスタのストーリーをタップしながら流し見して、投稿にもいいねを押して、TikTokを見ていいねを押して、ブログを読んでいいねを押して、終わり。なんとなく推しを目に入れて、推しの笑顔を見て癒されて、眠りにつく。

私は、彼らのことが大好きだ。大好きだけど。彼らがくれる愛をちゃんと返せているかと聞かれたら、いや、どうだろう、って思ってしまった。

だって、私がやってることって、客観的にみたら、ただの思考放棄だもん。彼らは私たちを幸せにしようといろいろ頑張ってくれているのに、私はそれらをただ受け取るだけ。

そう考えたら、私は推しがくれるものを「コンテンツ」として消費しているんじゃないか。推しのことをこんなに好き好き言っているけど、結局は「ファン」じゃなくて、ただの「消費者」なんじゃないか。そんなふうに思えてきて。

自分に、ひどくがっかりした。

推しは、応援してくれるファンがいるから頑張れる、みんなに支えられてる、なんて言ってくれたけど。

当たり前だけど、「好き」とか「応援してる」とか、心の中で思うだけじゃ推しには決して届かないわけで。

毎日ただボケーっと推しを眺めている私は、彼らを応援しているファンだと胸を張って言えない気がした。

ちゃんと、「ファン」になりたい。

私は、推しがくれるこの環境に、少し慣れすぎてしまっていたのかもしれない。知らず知らずのうちに、推しが日々くれるものを、当たり前だと思ってしまっていた。まるで、推しがそこに存在して、私たちに笑顔を見せてくれるのが当然かのような、そんな気でいた。

本来なら、推しに、そして推しが推しでいてくれることに、感謝しなきゃいけないのに。私は、推しに毎日支えてもらっているのに。

今の私は、推しに自分の声を届けてもいなければ、感謝もできていない。そう思ったら、すごく自己嫌悪に陥っちゃって。

最終的に落ち着いた結論が、私にできることから、始めてみようってこと。

例えば、ブログにコメントしてみる、とか。インスタの投稿にコメントしてみる、とか。Twitterで、好きだなぁって呟いてみる、とか。(推したちはよくエゴサをするらしいので。)手紙を書いてみる、とか。とりあえず、難しくなさそうなことからやってみよう、って。

それからは、出来るだけコメントしたり呟いたりして、ちょっとずつだけど、できる限り推しに愛を伝えようとしてみている。

『生産と消費の関係が逆になることも、供給と需要の関係が逆になることもないってわかってるけど。だからこそきちんとカタチにしなきゃいけないんだよな、って。』

深夜3時、そんなことを思いながら、眠りについた。

日下寿乃

ココから自分色に染まるライター 神奈川県の湘南出身、2001年生まれの現役女子大生。都内の女子大で総合政策を学び、メディア業界に就職するためにさまざまなスキ...

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