小学校の授業。重りをお腹につける「妊娠体験」はあるのに「生理体験」がないのはどうして?

オンナの叫び

小学生のある日、恐らく午前中、いちばん最初の授業だったと思う。

「オンナの子はこっちに集合して~」と先生に言われて、私たちは連れられるまま保健室に集合した。

保健室の壁には、熱中症に気をつけましょう! とか、やけどをしたときの対処法! といったイラスト満載のポスターが貼られていた。

白衣を着たお母さんのようなふっくらとした保健の先生。いつも優しいはずなのに、

「今から、大人になるために起こるオンナの子の話をするね」

にこり、ともせずに射るような真剣な目でそう言った。

お母さんみたい、と慕っていた先生が、初めてちゃんとした先生に変わった瞬間だった。

そうか、この人も”先生”なんだ、と思った。それが少し怖かった。

それから始まった生理の話も、つまりどういうこと? とうまく頭に入ってこなかった。

あの時間、男の子たちは何をしたいたんだろう。

どうしてこの話を男の子は聞いちゃいけないんだろう? 私はそう思っていた。

「生理っていうのは、いつかみんなが、赤ちゃんを生むために必要なことなの」

そう言われて「なるほど」と思った子は何人いただろうか。

今ならわかる、あれは”警告”だったんだ。

あなたたちはこれから赤ちゃんを産もうが産むまいが、毎月定期的に身体から経血を垂れ流すんですよ、と。

それは、止めることもできないし、時にはきつい痛みも伴うし、でも必要なことなので我慢してね、と人生の先輩からの言葉だった。

生理の話が終わって、男の子たちだけの教室に戻る。

それから始まったのは「妊娠体験」だった。身体の授業は終わらない。

「オンナの子の世界を男の子が”体験”するのが正解だったはず」

男の子2人、オンナの子2人の4人グループになり、先生から妊娠体験セットを渡された。

入っていたのは、変形したエプロンのようなベスト、お腹のあたりが膨らんでいて、3キロの重りが入っている。

素っ裸の赤ちゃんの人形、赤ちゃんに着せるカバーオール、布でてきたおむつ。全部少しだけ黒ずんでいた。

「それじゃあ、グループ内で男女ペアになって、赤ちゃんを抱く人、エプロンをつける人に分かれてください。5分経ったら合図を出すから交代してね」と担任の先生が言った。

ペアになったのは、クラスでも割と目立つグループにいた男の子。

「先にこれつけなよ!」とベストを渡された。

周りを見渡すと、圧倒的にオンナの子のほうが先にエプロンをつけていた。先生は何も言わない。

「うん、わかった」

あのとき、私はこの違和感に対する言葉を何ひとつ持っていなかった。

妊娠はオンナの人がするもの、だから、先にオンナの子がつけるんだ、と納得していた。

でも、あれはやっぱりおかしかった。妊娠はオンナの人がするもの。

そうだとしても、”体験”と名うっているなら、男の子が先にするのが正解だったはずだ。

私たちはいつかこの経験をする。しないかもしれないけど、そんなのはまだわからない。

だとしたら、オンナの子の世界を男の子が”体験”するのが正解だったはずだ。今ならそう思う。

「じゃあ、交代」先生が言う。その声は、いつもより少し低くて固い気がした。

センシティブな内容、なるべく茶化さないように、そんな緊張があったのかもしれない。

だけど、そんな先生の気遣いも虚しく「うええ! なにこれ! 重たっ!」と、私のペアの声が教室中に響いた。

するとそれがスタートだったのか、「だよな!」「超重え!」「肩痛くて無理!」と一気に騒がしくなった。

「ほらほら! 静かにしなさい!」その声は、さっきよりも柔らかくなっていた。

センシティブな内容、だからこそ、こんなふうに騒がしいほうが安心できるのかな、とそんなふうに思った。

「生理の痛みと、身体のシステムごと体験させるべきでは?」

人生のどこかで、同じように妊娠体験をしたことがある人は多いだろう。

人間に与えられた本能であり、使命である「子孫を残す」ことを体験する。

同時に、オンナの身体の苦労を知る、経験するかもしれないから(男の人だと経験はしないから)体験する、という目的もある。

それなら「妊娠」するための準備である「生理」の体験がないのはどうしてだろう。

この世に命を生み出す妊娠と同じくらい、生理だって大切。なんてったって「生きる理」だ。

もっと言えば、するかしないか分からない妊娠と違って、生理は毎月くる。

恋人にもくるし、お母さんにもくるし、一緒に働いている女性にも、道端ですれ違った高校生にもきている。

関わるほとんどの女性に生理がくるなら、その痛みこそ知るべきなのでは? と思う。

なりたくなくてもなってしまう。コントロールのきかない不条理な身体システム。

増幅する食欲、PMS、体の中心から生まれる鈍痛、垂れ流される経血。

血が流れているのに、病気じゃない。大人になるための準備、妊娠のために必要なこと。

経験できないなら、これこそ体験したほうが、させたほうが、いいんじゃないのか。

「分かり合えないことを分かり合う」

だけどふと「ああ、でも」と考えた。

「男の人が股間に衝撃を与えられたときの痛みを知ることはできないな」と思った。

同じペアになったあの男の子に、「股間を蹴られたらどれぐらい痛いの?」と聞いたことがある。

彼は「うええ! やめて! それを今考えただけで痛くなる!」と言っていた。

気になって「股間 痛み 例え」と調べたこともある。

サイトには、
無宗教なのに神に祈りたくなるぐらい痛い、
地球が+5℃傾くぐらい痛い、腰で爆発が起こるくらい痛い、
と例えられていた。結局どのくらいの痛みかわからなかった。

最近読んだサイトでは
「男の人が急所に衝撃を受けると、神経信号が脳に伝達されるスピードは時速約460キロにもなる」という。

身体で使う数字じゃないな、と思った。

私達は、男もオンナも、一生お互いの身体的痛みを知ることはできない。
身体の内側の痛み、それを抱えるのはどうしたって自分ひとりしかいない。

精神的な心の痛みが人それぞれ、であるように、身体に生まれる確かな痛みも人それぞれ。

分かり合うことはできない。妊娠も生理も、股間の衝撃も。

どれだけ痛くても同性にしか伝わらない。いや、同性ですら伝わらないことだってある。

だけど、それなら、「分かり合うことはできない」ことを分かり合ってあげたい、と私は思う。

痛みを抱えていること、自分が今痛みと戦っていること、そういうことを分かり合ってあげたい。

痛さの深度がわからなくても、「痛み」がある、ということを分かり合ってあげたい。

みんながみんな分かり合えない痛みを背負っているなら、
せめて、隣で背中ぐらいはさすってあげたい、
そんな私でありたい、と思っている。

書いた人 たなべ

1997年6月生まれ。24歳。女性。富士山の麓山梨県出身。ショートカットの社会人2年目。梅干しと、カフェラテと、洗濯が好き。

プロフィール

ピックアップ記事

関連記事一覧