老若男女、生涯、”毛”に囚われすぎでは?と思いながらもしっかり脱毛サロンに通うオンナの嘆き

オンナの叫び

私は若干体毛が濃かった。というか普通に過去形ではなく今も濃いんだけど、「なぜ人より体毛が濃いのか」と中学生時代から悩んだし、自分の祖先のDNAを恨み、しっかりと生えた眉毛を「長谷川潤風」だと自分に言い聞かせ、「体毛の濃さと人間としての美しさが比例する時代に生まれたかった」と嘆いてきた。

最終的には、去年の誕生日に意を決して、美容脱毛に通い始めた。今考えれば、医療脱毛の方が良かったかもと思うのだが、過去に1度激痛で有名なニードル脱毛を体験して以来、あの痛みが怖すぎて、強烈すぎて「痛くない」施術ができることが脱毛する上で最優先事項になった。

見える範囲、例えば、腕とか足とかは割と薄い方ではあるが、やはり多くの人が悩んでいる、脇やVIO、また鼻下も若干気になるので顔も入れての全身脱毛コースで契約した。

美容はオンナの必要経費

「女の子はお金がかかる」というがそれは本当のことだ。というか、女の人の方がやはり美容にかなり多くのお金をかける。そして美容は必要経費の部類に値すると考える人が多い。

近年、メンズ脱毛や男性用化粧品を利用する人が増えてきた。しかし、女に比べて男の方が美容にかけるコストも時間もそれらに対する考え方も全く違う。

ある男性は、「女の美容代」と「男の趣味代」の金額は変わらないというが、そもそも、趣味と美容は全くもって別物だ。趣味はより人生を楽しませるものであり、余ったお金でできること、という感じ。だが、美容は生活費の一部であり、お金が余っていなくてもなんとかしてお金を抽出し、美容に当てるといった具合。強いて言うなら公共料金と趣味代の間に位置する。「化粧はマナー」という言葉があるように化粧をしていないとダメではないが、ノーメイクでは相応しくない場所もあるということ。

話は戻り、脱毛に関していえば誰が脇毛がごっそり生えている女を歓迎するだろうか、誰がそんな女と付き合いたいと思うのか、そんな男の人はめちゃくちゃ優しい(心が広い?剛毛に対する考え方により寛容?)か、ただの変態のどちらかだろう。「剃ればいいじゃないか」と男の人で簡単に口にする人がいるが、剃ったところで女優みたいな綺麗な脇にはならず、また何時間後には黒いものが顔を出してくる現実。

今時の広告で、「あいつ、腕の毛がめちゃくちゃ生えてて、一気に萎えたわ〜」そんなA子がこの除毛クリームを試したらすぐに彼氏ができちゃった!みたいなCMをよく目にする。確かにああいった「こういう女が彼氏をゲットできる!」みたいな商品の広告には嫌気がさすが、それも一理あるというか、腕の毛があってもなくても彼氏がいる人はいるし、いない人はいない。ただ言いたいのは腕の毛があろうと、なかろうと私たちの内面に変わりはなく、しかしあるよりはない方がいいと考える人もいるし、あってもなくてもどちらでもいいと考える人もいる。

そんな私はやっぱり、腕の毛はない方が憧れるわけで、だから脱毛に通い始めたわけで。その理由は自分で定期的にシェービングすることを億劫に感じてきたことと、23年間付き合ってきたからこそ、そろそろこの体毛たちとお別れしてもいいか、と思ったから。

というのも私も根本的にはやはり多くの体毛をいらないと思っている反面、あの類いの広告を見せつけられると、体毛があってもいいじゃないかと反発したくなるが実際の心の底は、やっぱりない方がいいんだなと、思っている。そう思っていることを再度認識させるからあの様な広告は嫌いなのかもしれない。

詰まるところ、ジュリアロバーツが脇毛を生やしたまま、公の舞台に立ち、手を挙げた写真がネットに出回っているが、あれはジュリアロバーツだから許される、許されるというか、「毛、生えてるやーん」くらいの感覚に思われるだろうが、多くの一般女性(私含め)が、彼氏や知り合いの男性女性問わずに脇毛を思いっきり、電車の吊り革に掴まりながら見せていたら絶対と言っていいほど引かれるだろう。

美容脱毛の前日は全身綺麗にシェービングして挑むのだが、やはり剃りづらい箇所がいくつもあって、エステティシャンの方にシェービングしてもらう。これがくすぐったいのなんの。シェービングしてもらうことに罪悪感を覚え、VIOなんてものすごく滑稽な格好でマシーンを当てられるので、初めてやったときは「何やってるんだろう」と真面目にその時間についてベッドの上で考えた次第である。

それでも女に生まれた以上、私は全身の不必要な毛を無くしたい。約20回中、6回通ってもまだまだしぶとい不必要な毛たち。

本当に毛がなくて困っている人、毛があって困っている人、毛があってもいいじゃないかと考えながら密かに脱毛に通っている人、世の中はやっぱり意味不明で矛盾だらけだと感じる今日この頃。

これだけいろんなことが発展してきて、どうして誰ももっと簡単に、一発で、無痛で、費用も安くできる体毛の失くし方を開発してはいないのだろうか、と常々思う。

あんな痛い思いをして、体力を使い、お金も使い、私は何を目指しているのだろうかと改めて考えながら、私は今日も脱毛をしに行くのである。

とにかく言いたいことは、【何かを得るためには、何かを失う】が世の常であり、脱毛は得るものに対して、失うものが多すぎるのではないかと思っている。そして、【毛】というものに老若男女、生涯囚われながら生きる日々に飽き飽きする時代がいつか来たらいいな、と妄想し、こういうことを「大嫌いで大好き」と言うのかもしれないと、考えながら私は今日も生きていく。

書いた人 渡辺真央

大きな目標をクリアするために、小さな目標を設定し、それに向けて努力し続けることが出来るライター。自分をどう動かすかを理解しているので、失敗しても、煮詰まって...

プロフィール

ピックアップ記事

関連記事一覧