無神経な親に育てられた神経質な父親。わたしは父がすきで、きらいで、すきだ

オンナの叫び

理想の家族

父と母親は、わたしを産んだ年齢が若かったこともあり、事ある毎に「友だちみたいな、なんでもはなせる家族になりたい」と言っていた。

でもそんなものは、両親の機嫌のいいときだけの、でまかせだった。

思い出せない

わたしは、幼少期〜小学生の頃までの記憶を、うまく思い出せない。断片的には覚えているのだけれど、正確には「覚えている」というより「残っている」、感情が。

『恐怖』

あの時期のわたしは、その気持ちでこころがいっぱいだった。

父は夜勤のある仕事をしていて、だから、父が夜勤に行くと安心した。夜ご飯を一緒に食べなくて済むから。母親との喧嘩に巻き込まれなくて済むから。

だけど夜勤明けの日と、その次の日は休みだ。辛かった。父と母親と囲む食卓。こんなに辛いことがあるのか、というほど辛かった。少しでもこぼせば暴力。食べながら喋れば暴力。箸の持ち方が変だと暴力。常に、縮こまりながら食事をしていた。そもそも、箸の持ち方が変なのは、母親が普段料理をしないせいなのに。父がいないときは、パンやコンビニのおにぎりなど、適当なもので済まされていた。

隣の部屋で

幼稚園から小学校低学年のあの頃、あの狭いアパートに住んでいた頃、母親と父はよく喧嘩をした。母親の不貞が原因だった。夜中、磨りガラスのトビラ一枚隔てた向こうで、父と母親が喧嘩をする。母親が、「美緒、助けて!〇〇に電話して!!」と叫ぶ。慌ててわたしは飛び起きて、祖母の家の電話番号を押す。ドタドタと走ってくる音がして、すぐに受話器を置かれる。そして、殴られる。「お前は馬鹿か。大事にしたいのか!!」父はそう怒鳴った。またある日は、「美緒助けて!殺される!」という、母親の叫び声で目が覚めた。飛び起きて覗くと、父が母親の首を絞めているところだった。そのあと、どうしたのか記憶にない。

わたしは、父と母親の喧嘩の板挟みに、なっていた。

引越して心機一転、と思いきや

小学校二年生のとき、新居に引越しをした。念願の一軒家、念願のひとり部屋。嬉しかった。なにより嬉しかったのは、両親と寝室が離れていることだった。

これで夜中起こされなくて済む。そう思った。

念願の犬を飼うこともできて、すごく幸せだった。

けれど、幸せは続かなかった。母親の不貞行為が、治らなかったのだ。病気なのだろう、といまは思う。

父親は、毎度帰ってくる度に、床を掃除するようになった。理由は分からない。ご飯を食べ、自分だけとっとと食べ終えると、ひたすらに床を雑巾で擦る。「なんでこんなに汚くて平気なんだ、汚い!!」と怒鳴りながら、何度も何度も何度も床を擦る。何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も、そして、殴る。「見てないで手伝え!」

母親に「まだご飯食べてるでしょ」と言われると、逆三角になった目で、睨む。「お前らが汚してるからだろう!手伝え」

塾に通いだした

小学四年生になったとき、わたしは進学塾に通い始めた。中学受験をすることになったのだ。だけどわたしは勉強なんかしたくなかった。つまんないし、遊びたい。けれど、塾に通うようになってから、友だちと遊ぶことは禁止された。放課後、少しの時間も、お喋りのために残ることを禁止された。夜勤の日はいい。両親共にいないから、バレない。だけど、どの日が夜勤なのかわからない。そんな賭けは出来ない。殴られる。

結局、わたしは卒業までずっと、放課後どこかで遊ぶことは無かった。ちょうどクラスで浮き始めた時期でもあった。

父親の、床を擦る行動は、見られなくなったが、わたしの勉強への監視は厳しくなった。なんせ、算数がとにかく出来ない。食塩水の濃度など知ったことではない。

「部屋だとお前はサボるから」という理由で、リビングで勉強をさせられた。父が勉強を教えてくれることもあったが、なにを言っているのかさっぱりわからなかった。そんなわたしの頭を、毎回、思い切り殴った。そして、水の入ったコップに食塩を入れると、「ほら、何パーセントだよ!?」と怒鳴った。目で見てわかるなら苦労しねえよ、と思ったが、そんなこと言える訳もなく、殴られた。

受験は合格した

中学受験に合格し、晴れて私立中学に通うことになったわたし。だけどそこでも「成績」の壁があった。数学ができない。というより、やりたくない。食塩水の問題が、トラウマだった。

一定以下の評定を取ると、成績会議という名の三者面談に呼ばれる。わたしはそこの常連だった。

そして、毎回殴られるのだ。家に帰ってから。

高校生になって

エスカレーター式に高校にあがると、わたしの成績はぐんぐん伸びた。というより、試験での点数の取り方を覚えたのだ。そんなわたしに、父はもう滅多に手を出さなくなっていた。

ある日、父のいない日。

わたしは、父方の親戚と繋がりがほぼない。ゼロと言っても過言ではないほどだ。

母親が言った。

「B(父親)は母子家庭だからね」

初耳だった。そうなの?と、聞くと、

「Bのお父さんはもう亡くなってる」「たまにBの家に遊びに行った時に、お義父さんから電話が掛かってくると、敬語で話してたもん」「Bのお義母さんは、パチンコ三昧で、いまで言うネグレクトしてたんだよね。犬飼ってたけど、そこらへん犬のふん尿まみれでさ」

なぜ、母親があのタイミングで、あれをわたしに告げたのかわからない。

だけど納得が行った。父が床を必要以上に擦っていたのは、「犬の汚れ」というトラウマがあるからだ。父がわたしたちに暴力をふるうのは、そうすることでしか身を守ってこれなかったからだ。

防衛機能。虐待は連鎖する。

わたしは、子どもを産みたくない。わたしで、連鎖を断ち切らなければならない。

父がかわいそうだと思った。

母親が、父に妊娠したと告げたとき、ほんとうに嬉しそうな反応をした、と。「ずっと家族がいなかったから、自分の家庭を持てて嬉しかったんだと思うよ」母親はそう言った。

かわいそうだと思った。

わたしが許してやらなければ。父は不器用だっただけだ。許してあげなければ。

かわいそうだ。母親に、いまでも裏切られ続けている父が。自分の家庭を持ちたかったがために、母親の不貞を許せず、家族に暴力をふるっていた父が。父はきっと、「『自分』の家族」をなにより大切にしたかったはずなのに。

もうすっかり角がとれて「孫の顔がみたいなあ」と零すことのある父。

ごめんね。子どもはたぶん、産めない。わからない。こればっかりはわからないけど、いまのわたしは産めない。不器用なだけだった父。わたしと同様、「愛情」に飢えていた父。

母親が、不倫なんてしなければ。もっと穏やかな、幸せな幼少期を過ごせたんじゃないだろうか。

父方の親戚は無神経ですきになれない

母親のせいだけではない。父方の祖母。きちんと、育児をしていれば、父は寂しくなくて済んだのに。父方の祖母を「おばあちゃん」と呼んだことは一度もない。思ったことすらない。

母方の祖母のことはだいすきだ。

父は口では自分の母を「あんな、うるさいの」と、嫌そうに呼ぶ。でも、ほんとうは、孫にあたるわたしたちに、自分の母を、母方の祖母と同じように慕ってほしいと思っているのではないか。と思う。

でもごめん。無理なのだ。やっぱり、無神経。中学三年生のわたしを見て「もう処女じゃないね」と親戚のいる席で大声で言ったあのひとを、祖母と思うことはできない。

父のことは、すきだ。そして、きらいだ。されたことは、忘れない。でも、少しだけ、気持ちを、察することはできる。

わたしに、自分の子に、「かわいそうだ」と言われる父が、かわいそうだ。

書いた人 小野寺美緒

1月生まれ。本が好き、映画を観る要領で頭に文字を流す。 わたしのような、みっともないおとなでも生きていけるんだ、と思ってほしいと、頭の中のマーブル模様を文字...

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