偽って、着飾って、偽りの外面で判断される。それって本当に正しいの?

自己ブランディングという言葉がある。
SNSを使って自分をブランドにしていくのだが、私はあまり好きではなくなってきた。
炎上することで知ってもらう
誰かを批判し、意見を述べ、それに対して人が集まる。
尖ることで人から注目を浴び、そのカリスマ性で人が集まる。
誰かと違うことを恐れない姿に憧れ、ファンはいつか信者になる。
それって本当にすごい人なの?
たとえそれがSNS上のブランディングだとしてもそんなこと私はしたいとは思えない。
「SNSは尖っているけど、実際あってみたら素敵な人でした。」
よく聞く文言だが、なぜSNSでは虚勢をはらなければならないのだろうか?
人は周囲の評価や肩書きで人を選びすぎである。
みんながすごいと言ってるから凄いのか?
有名だから正しいのか?
そこの違和感について考えたことがあるだろうか。
脳死で判断しないで
考えることを辞めてとりあえずみんながいいっていってるからという理由で何かを判断するのを辞めて欲しい。
世の中にはびこってしまった変な違和感は自分たちが生み出してしまっているのだから。
もちろん、そのままでいいという人もいるかもしれない。
だって今生きているのだから。
でも、このままだとどうなるだろうか?
中身が空っぽの人ばかりになってしまう。
つまりは、ブランディングを行わなければならないことが問題なのだ。
人に見てもらうために自己ブランディングを行う。
もちろん必要なブランディングもあるが、炎上商法などまんまと引っかかっているじゃないかと思ってしまうことも多い。
数値で推し量るのがわかりやすく簡単であり、効率を求める場面では必要不可欠だ。
いいね数、フォロー数、チャンネル登録者数。
稼いでいる額もそうか。
ただ、それを私生活の自分の判断基準にするのは宜しくない。
発信者が有名か有名じゃないかくらいのもので本質がわからない人にはならないで欲しいと思う。
常に誰が言っていることであろうとそれは自分の中でどう思うのか1度考えてみて欲しい。
その上で必要な情報を取捨選択することが大切なのである。
常に疑問を抱き、疑い続けなければこの世の中が歪んだとしても気づけない人になるだろう。
そこに違和感を感じて動ける人がもっと増えたら社会はより良くなっていくと私は思う。
自分も含めて常にアンテナを貼り続け、異変をキャッチできるようになりたい。
本当の中身を重視される世の中へと私は変えたい。
今の世の中で大丈夫?
ちゃんと考えれている?
知っているつもりになっていない?
自問自答を繰り返してほしい。