小説は経験したことしか書けないの?

オンナの叫び

小説と私

私は小学六年生から小説を書いている。いじめを受けていて、そんなとき図書館に逃げるように本の世界に読み耽っていたから、それで、私自身も小説を書いてみたくなった。

 

だから、次第に自分の創った自分の世界にほかの人も入ってほしくなったのだ。これが文学賞に応募する理由だった。始めたのは中学生になってから。主に新人賞に応募していた。

 

と言っても、そんなにたくさんの文章は書けないので、夏休み中にバーっと一本書いて、応募していた。大学二年生まで、私のルーティーンになっていた。

 

二年前、私の小説を読んだ人に「もっと恋愛しなよ!」と言われた。毎年、夏に文学賞に応募していた。同じように書いていた。

そして、誰かに読んでもらうようにしている。誰かに読んでもらいたいのは、自分にない客観的な視点で見て、おかしいところがないかアドバイスがほしかったから。

小説は好きで書いているだけ。空想を膨らませて自分の世界を紡いでいく過程が好きで、ワクワクするから。そこに自分の居場所があると思えて、どんなつらい状況も頑張れるようになったから。
恋愛しなよなんて、失礼にも程がある。

経験することがそんなに偉いのか?

そもそも、小説は体験していなくても取材と空想によってリアルに描ける。
それを、あたかも恋愛すれば良い小説が書けるかのように、簡単に言われたのがイライラした。

書くのは非常に時間がかかる。どんな題材か最適か調べて、実際にその場所に取材をして、色んな人に話を聞いて、それからやっと書き始める。それからがまた長い。何度も諦めそうになりながら、読みやすくて面白い文章を一単語ずつ試行錯誤して書いて、また直して、その繰り返し。それを最短でも三ヶ月は続けて、ようやく小説が完成する。読むのは一瞬。そうやって書いた文章をプロの編集者でもない素人に何が分かるのか。

わたしが書いたのは、ファンタジー恋愛小説だった。それも不器用な恋を描いたものだった。きれいな小説が書きたいと思っていたし、そういう恋愛が美しいと思っていたから。決してリアルで共感できる小説にしたかったわけではない。

テイストとしては、三秋縋さんの『君の話』のような感じ。その小説は架空の少年時代の記憶を植え付けられた不幸な少年が、偽の初恋をした幼馴染と出会う。それで疑い深くなってしまい、本当に好きなことを言えないまま、終わってしまう恋の話である。

私が書いた恋愛小説もそんな風に初恋の淡い気持ちを綺麗な文章で、細かく描写していた。

恋愛をしたことはある。だけれど、わたしは恋愛感情に愛を抱けないアセクシャルだ。愛だと思っていたものは、すべて尊敬から生まれていた。単純に人を好きになるということがない。だから、普通の恋愛が分からないことは事実である。

だから、失礼なコメントに少しこころが痛んだ。

あとで知った話によると、「読んでくれた人の友達が私のことを好きだと言ってくれていたらしくて、付き合うように仕向けたかった」ということが事実らしい。恋愛しなよと言うことで、そちらの話に持って行きたくて、かつ、わたしの小説のネタにでもなると思っていたのだろうか。

余計なお世話です!

結局、私は一回も新人賞を獲れることがなく、長編小説を書くのも諦めてしまった。

皆さんは自分の大切にしている価値観を否定されたことはありますか?

書いた人 杉本しほ

1997年、兵庫県明石市生まれ|大阪在住|元不登校|note初投稿エッセイ『不登校だった私の話』700スキ超|10年前からブロガー|平日は就労継続支援A型コ...

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